英雄たち

私たちは、逃げていた。
捕らえられれば、全てが終わる。イングラムとヴィレッタが消される。
ひとときも休めなかった。お互い以外信じられるものは何もなかった。
どれだけ逃げても、逃げきれる気がしなかった。追手を殺し続けた。
ある日の朝。
「死体、か。何があったかは知らんが巻き込まれないうちに行くぞ」
イングラムの言葉に私は頷いた。死者よりもそれを生み出した脅威に警戒を――
「そこに……いるのは……?」
――向けられなかった。生きている。
「気にするな、行くぞ」
そう、それが正しい。人道的行動などリスクに見合わない。
「イングラム……ヴィレッタ……?」
「貴様ぁ!」
疑問を抱く間もなくこの存在を放置するリスクの大きさを直感する。
何故、その名を知っている。私たち以外が知るはずのない名を。
男だ。イングラムと同じくらいの体格、長髪、虚ろな眼。
「何者だ!? 何故俺たちのことを知っている!」
無理矢理引き起こして問いただすが、衰弱したこの存在は答える余力がないようだった。
「イングラム、彼を連れて安全な所を探しましょう」
「ヴィレッタ、それは……」
「危険だというのはわかっている。でもあなただってそうするべきだと思っているはず。判断は、疑問を解決してからでも遅くはない。それに……」
「それに?」
私は言葉をつぐんだ。
あの呪わしい名の人形ではない私たちを知っている存在がいたことが怪しくも、嬉しく思ってしまったから。

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背負い逃れ、尋問が行える余裕を確保し、強引に水分を摂らせる。
特異な服を着ているが私たちの知識にはこれで所属を確定出来るものがなかった。
持ち物は『G.J.』という鑑識票だけ、外傷は少なくとも見える場所にはなく、ただ衰弱していた。
「……ありが、とう」
その第一声に意味はない。
「話せるか」
イングラムの言葉も気遣いではなく尋問の予告でしかない。
「何、を、聞きたい……?」
「貴様は何者だ」
「……ギリアム」
「名前を聞いているんじゃない」
イングラムが苛立っているのがわかる――彼を制して、私が尋ねた。
「何故お前は私たちのことを知っている?」
「勘、かな……」
虚ろだった瞳に微かに光がともり、少し笑ったように見えた。
「ふざけるな」
銃を突きつけた。
「……そういう、力があるんだ。だから、逃げた」
「何から」
「俺が……ギリアムだと……困る奴らから……」
聞きたくなかった、というのを第一に感じた。
同情は隙を生む。
信じられる保障など何もないのに、危険性への警戒を鈍らされる。
「……殺してもらっても、いい。ギリアムとして、死ねるなら、それでいい」
それはとても、気に入らない考えだった。
「貴様には聞きたいことがまだある。貴様の思い通りになどしてやるものか、と俺は言いたいが……ヴィレッタ、お前はどうだ?」
「同感よ、イングラム」
私も銃を取り出し、突きつけた。
「お前は、どこまで知っている?」
「お前たちの、名前しか、わからない」
信じるな。こんな何もわからない存在を。あまりにも都合が良すぎる。私たちをイングラムとヴィレッタだと認識出来る第三者など。
「制御の出来ない、直感でしかない。俺は何も、知らない」

でも、そんな存在がいてもいいのではないかと、信じたくなってしまう。

私たちは、逃げ続けることに、疲れていた。

「……貴様の勘は逃げることにも役立つようだな」
信用は出来なくても利用は出来る。少なくともその点では有用だ。
イングラムが銃を下ろしたのを見て、私も下ろす。
「もっとも、行き倒れるのならば世話はないが」
「だが、結果として助かった。お前たちのおかげで」
「口も回るようになったし早速役に立ってもらうわ」
だが、これくらいはしてもいいだろう。
「よろしくね、ギリアム」
「よろしく、ヴィレッタ、イングラム」

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ギリアムの勘は本当によく当たる。
私たちは追手の気配を感じ対処していたが、彼の勘は気配を感じるより先に奴らの居場所を感じ取る。
安全と思える場所が増え、人に紛れ、食糧と衣服を、そしてしばらくして戸籍まで手に入れた。
私たちを証明するものがまた増えた。
「不可解だな。俺たちの技能が必要だった戸籍はともかく、その力があれば行き倒れることもないはずだが」
イングラムは疑念を隠さない。彼なりの誠実さ。
「この力は俺を認識する他者の存在を触媒に発動する。故に追手から逃れることは出来ても、食糧や水はどうにもならなかった。今はお前たちがいるからだいたいのことはわかる」
「一見筋は通っているが……どう思う、ヴィレッタ」
「私たちの名前を呼んだことの説明がつかない」
「説明が必要か?」
彼は認識票をかざした。G.J.――――ギリアム・イェーガー。
無機質なコードを名前として定義したのだと彼は以前語った。
「少なくとも俺が出会ったのはイングラム・プリスケンとヴィレッタ・プリスケンだった。そうだろう?」
信じるに値する答え。
「なるほど、ね。その力の範囲だけど、心は読めるの?」
「いや、わからない……と断言していいものか。俺が理解出来ていないだけかもしれない」
少し迷っているように見えた。
「喜怒哀楽くらいはわかる。だがそれが単に人間らしく表情や語調から読み取っているのか、この力のせいなのかが判別がつかない。危害を察知できる『敵意』は別だが」
「厄介なものだな」
素っ気なく呟く。
「厄介なものね。ごめんなさい、嫌なことを聞いてしまったわね」
彼のことは知らないけれど、彼がギリアムでないと脅威になるということも、彼がギリアムであってほしいという己の感情も理解していた。
その程度には、繋がりを持ってしまった――本当に厄介だ、他者の存在というものは。背負うものが増えてしまう。
けれども他者に存在を肯定される喜びは、それの重さを上回る。背負えることすら喜びに感じてしまう。
「代わりにとは言わないが、俺たちのことも少し話そう。今後の身の振り方についても関係がある。俺たちを追っている連中は、反社会的な目的を持って活動している。裏切り者を消すために、俺たちを追っている」
紛れもない真実であり、相手の良識に訴える表現。
「逃げ続ける訳にはいかないわ。限界があるし、それ以上に……私たちは奴らを倒さなければいけない」
「故に社会に紛れ込み社会を味方につける……具体的には、軍に紛れ込む」
私たちは元々対軍用の工作員だ。その意図と違うのは、スパイとしてではなく奴らと戦うために潜り込むこと。
「お前がいるとなかなか役立ちそうだが、お前にとってはどうだ?」
「なかなか魅力的な提案だが、不安がある。俺を追っている奴らの正体を、俺は知らない。政府や軍の関連だったとしたら、と考えると素直に頷く訳にはいかない」
結局同じ懸念によって阻まれる――ならば、取り除かねばならない。幸い手段は彼自身が教えてくれた。
「あなたは……実験体だったのかしら」
一瞬にして蒼白に染まった顔と見開いた眼、乱れた呼吸。
「でも、あなたは、ギリアム・イェーガーは、そんなものではない。少なくともあなたはそうでありたくない。よく考えて。たとえ公権力の側だったとしても、そんなことをする奴らは他にも後ろ暗い所がある。突かれたら権力を失うほどの……イングラム、いい?」
頷いて、続きを受けてくれた。
「俺たちは、そういう工作を行うために造られた。本能といっていいほど、染み付いている。俺たちの追跡者同様反社会的目的があるなら言うまでもない。お前にとって、俺たちは利用価値がある」
ここでこの不愉快な事実を言えないなら、結局私たちは奴らと戦う気なんてないということだ。
我ながら勝手な決意表明――同じ決意を他人に強いて、それがお前のためなどという御託まで並べる。
彼の能力が必要で、彼が逃げきれるか考えてしまい、手段を選ばない。本当に勝手で姑息だ。
その身勝手を詫びたいという感情もエゴに過ぎないので、口を噤む。
「……戦える、だろうか」
彼の声は震えていた。
「俺をギリアムだと認識してくれるのがお前たちだけで、絶対失うわけにはいかないのに、お前たちはお互いがいるから俺が必ずしも必要という訳ではない。仕方がないが不公平だ」
強い感情の吐露。
私たちは彼の置かれた状況を理解しつつも、彼が私たちとは違うことを自己弁護の根拠としていた。
だが私たちとて完全に同一の存在ではなく、強欲だと謗られても仕方ない。
「……嘘でもいい、俺が何者かを教えてくれないか。奴らと戦うことが出来る理由を。俺は奴らに勝てないという未来が見える……戦わなくてはいけないのは理解しているが、行くわけにはいかないんだ」
彼は顔を歪め、震えていた。
私たちは造られた存在だ。創造者を知り、自我の芽生えにより反逆を起こし、それが好都合であったため追われている。
彼の苦しみを理解したところで、何が言えるというのか。
「判断材料があればいいのだな」
暫しの沈黙の後、イングラムが口を開いた。
「お前の予知は他者の介入で外れる、これは明らかだ。そして俺たち以外の他者の視点が増えるという利点がある。そして精神的な面においても、味方が増えたほうがいいだろう」
これまでの理論と感情面から、冷静に説得を行う。
「私からもひとつ……あなたはとても強い感情を持っていて、その強さに戸惑っている。本当にこれが自分のものなのかと。全て仕組まれているのではないかと」
私は、推測や願望を口に出来る。それもお互いを必要とする理由だ。
私たちに対してギリアムは笑った。ただ、何かまだ迷っているように見えた。
「でもその感情が仕組まれたものだったとしても、あなたが持っているものであるのに変わりはない。あなたはギリアム・イェーガーよ」
後押しすると、彼は頷いた。
「俺は、君たちと共に戦う」
逃亡生活は終わり、本当の戦いが始まる。

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作戦を協議したが、迂遠であっても地盤を固めることを重視することになった。
善良なる一市民として世界を守る軍に志願するという建前を使い、訓練に不馴れというのを装い真面目に言うことに従っていれば、適性があり見込みのある新人と見られる。
私とイングラムは双子の兄妹でギリアムは夢を同じくする友と話し、実際の連携を見せれば、軍としても共に運用するのが効果的と判断する。
注意されるのはギリアムの髪型くらい。何しろ片目の視界を妨害するので不合理だ。
以前理由を訊ねたら、彼は願掛けだと笑った。
当然そんな理由が軍で許されるはずもなく、彼は普段は前髪ごと束ねるようにしていた。
頑なに切らないのも、願掛けなのだろう。
様々な検査も至って健康体である、という結果しか出ない。これは事前に入念に確かめた。
事前に方針は決めてあり、聞かれて困るような話をする必要はなく、信頼性と有用性を示す。
リスクとしては奴らの工作員が軍に潜り込んでいると考えるのが当然で、ギリアムの追跡者についても正体はわからなくとも警戒はしなければならない。
そして地位が高まれば、私たちはそれだけ奴らの目につきやすくなる。
奴らも私とイングラムの気配を感じ取れる。使い捨ての追手が殺しに来るというのは持つべき憂慮だ。
一方、私たちは顔が同じそれらを殺せば、軍から嫌疑をかけられる。
私とイングラムは特別な力を持ち利用価値があるが、それ故に自我を持ったのは脅威であり、いざとなればユーゼスは殺すことを躊躇わないだろう。
ギリアムの追跡者は――わからない。彼の能力は実際有用であり、それ故に飼われていた。
ただそのとき何らかの形で実際に運用されていたのか、研究のためだったのか、その場合研究はどこまで進んでいたのか、替えが効くものなのか。
考えても答えが提示されるはずもなく、それでも考えてしまう。生きている必要があるなら対処の手段が増えるから。

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ある日、懸念は現実になった。
「誰かに、見られている気がする」
同僚たちとの他愛のない話を楽しんでいたとき、ギリアムは何気なく呟いた。
これが無視出来るものでないことを知っているのは私とイングラムだけだ。
誰に疑われることもなく潜む危険を自然と伝達できる。
惚れた奴が見つめているんだろう、と茶化された。
「それはなかなかいいな。優しい人だとなおいい」
「意外だな。お前は顔で選ぶと思っていた」
「俺とヴィレッタは見目がいいからな、という宣言に感じたが?」
そのまま他愛のない会話を続ける。私たち以外の信用できる存在をなるべく近くにおくようにする。
使い捨てであっても、その存在が露見すれば何かしらの対策を打たれる。その危惧を相手に持たせるために。

そして。

私たちはだんだん認められていった。功績を、人柄を。
彼らを好きになった。守りたいものが増えた。
新設されることになった尖鋭を集めた特殊部隊のメンバーに、皆が私たちを推薦してくれた。

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「俺たちは恵まれているな」
招集の前日、私たちは久しぶりに3人だけで話をした。夕日の美しい基地の外れで。ギリアムの何気ない呟きに、私たちは頷いた。
「ああ、いいことだ」
「そうね」
心からそう言える。何もかもがうまく行っている――行き過ぎではないかと考えてしまうくらいに。
「俺は君たちが好きだ」
「柄でもないな。今更すぎる」
――嫌な、予感がする。
違う。それはギリアムの力だ。私にはそんな力はない。
「君たちがいて、君たちと出会えた、この世界が好きだ」
「大袈裟なことを言う。随分と感傷的だな?」
「そうだな。多分この感情を伝えたいんだ。そんなこの世界だが、何かいびつさを感じる」
「確かにな。今度の部隊は人型機動兵器、サイボーグ、亜人類、様々な力がひとつに集まるという」
駄目だ。いけない。考えてはいけない。そんなはずがない。そんなことになっていいわけが――――
「……俺が受けていた教育にこういったものがある。この世界は実験室のフラスコであり、未来を変えるために俺は存在していると」
夕日を背にギリアムは笑った。
「それも確かなのだろうな。連中の思い通りにはならなかったが」
「ああ、俺たちもそういった教育を受けていた」
違和感は唐突に消え去った。
私もだいぶ感傷的になっていたようだ。
「俺は夜を見上げようと思う。君たちは早く休むといい」
「付き合いましょうか」
その感傷を分かち合いたく、提案をする。
「好意に甘えよう、ヴィレッタ。俺も別の準備がある」
それもそうだ、と自室に帰り眠りに落ちた。

ギリアムは翌朝、基地の外れで死体で発見された。
死因は銃、彼の手に握られていたものと一致する。
ギリアムが普段から使っているもので、それ以外の手が加わった様子はない。
軍は捜査を行っているが、結論が出るとは思えなかった――私たちの間でも議論が分かれた。
私たちがギリアムに隠していた事実がいくつかある。
この世界は私たちの創造者であるユーゼスが作り出したことや、打倒すれば世界は解放されること――歪みを維持するための制御装置である私たちは死ぬこと。
「……トリガーを引いたのは私たちだった」
私たちはギリアムを1人にするという事の重要性を忘れていた。
「これを知っていたであろうギリアムはどんな心持ちだっただろうな、と死者に尋ねても意味がない……そのような未来を明確に見る前に殺すべきだったかもしれん」
何も意味がない。彼の部屋に感謝の日記が残されていたのを見つけたことも。

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特殊部隊として私たちは活躍した。
暗躍するユーゼスを少しずつ追い詰めていった。
イングラムが捕らえられた。
「裏切り者は始末する」
次に彼と対面した時、彼は私にそう告げた。
もう、彼を救う方法はひとつしかない。
「ヴィレッタ……後のことは頼む……」
イングラムはそう言って、死んだ。
私はユーゼスを討った。

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私とイングラムは、ユーゼスを倒そうとしていた。
彼は敵になった。
私はイングラムを殺した。
私はユーゼスを殺した。

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私はイングラムを殺した。
私はユーゼスを殺した。

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イングラムを殺した。

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目的の前に立ち塞がる障害があった。
「この世界は実験室のフラスコだ」
それを排除した。
イングラムを殺した。
私は、涙を流した。

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イングラムを殺した。

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あのイングラムは、最早イングラムではない。
奴を殺す。
「イングラムを殺すのか」
何故、知っている。
「ええ。彼はスパイだったのよ。裏切り者は消さないと」
「イングラムは裏切ってなどいない。操られているだけだ」
ギリアム・イェーガー……!
「ヴィレッタ、君はイングラムを救うために殺そうとしている」
「何を根拠に?」
「勘、かな」
彼はとても優れている。兵士としても、人としても。そして、油断出来ないという点でも。
「その勘だが、それはイングラムに頼まれたことではないかな。そして君は後悔し続ける」
「いい加減なことを言わないで!」
「そうだな。だが、俺はそんな君は見たくない、と思った。君はひとりじゃない。色々な仲間がいるだろう? 早まらない方がいい。他に方法はあるはずだから」

雫が落ちた。

私は涙を流している。ギリアムは、私に胸を貸した。

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「俺とお前は別の道を歩むことになる、と言われた記憶があるが? どうなんだ、ギリアム・イェーガー」
「それは確かだ。だが何の根拠もないただの勘だからな。忘れろ、イングラム。あともっとヴィレッタを労れ。俺に難癖をつける暇があったらヴィレッタに感謝を告げた方が有意義だ」
「あら嬉しい。ギリアム、ありがとう。でもそれはイングラム自らしてもらいたかったのに」
「それはすまなかったな、ヴィレッタ」
「調子のいい奴だ。さて……すまなかったな、ヴィレッタ。お前には酷なことをさせた。俺の意志を押し付けた。お前は俺を殺したくなかったのにな。だから…………ヴィレッタ、俺を救ってくれて、ありがとう」

 

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私にしては長めですね。ギリアムとヴィレッタとイングラムの、ずっと書きたいと思っていた話が書けた気がします。
などと格好をつけてみましたが、これは「ワンライだ! 折角だからギリヴィレの普段書かないものを書こう! 『再会』をテーマにしたハッピーエンドにしよう!」で思いつきました。
ハピエンですが過程がアレすぎます。こんなもんをワンライで書こうとした私は阿呆だ!
ヴィレッタが彼を認識出来なかったのかその世界にいなかったのかはともかく、途中の「実験室のフラスコ」は彼ではありません。
勿論SRXチームやガイアセイバーズやαナンバーズのような方々がいたのですが『イングラムを殺した』以外は虚憶です。
個人的にギリアムが本来何者かにはあまり意味はないと思っています。

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